日本の伝統工芸の宝石 – 市松人形の魅力と歴史
日本の伝統工芸の真髄とも言える、最近話題の!?「市松人形」について、その魅力と歴史を詳しくお話しします。
市松人形の起源と歴史
市松人形の起源は約250年前の江戸時代中期にさかのぼります。その名前の由来には諸説ありますが、最も有力なのは人気歌舞伎役者の佐野川市松(さのがわいちまつ)にちなんで作られたという説です。
当時、佐野川市松の美しい容姿に魅了された女性たちが「市松そっくりの人形が欲しい」と願ったことから、この人形が誕生したと言われています。その後、市松人形は瞬く間に人気を博し、江戸では単に「人形」と呼ばれるほど一般的な存在となりました。
※図は江戸時代中期の浮世絵師 鳥居清満(とりい きよみつ)によって描かれた佐野川市松
市松人形の特徴と魅力
市松人形の最大の魅力は、その愛らしい表情と艶やかな着物姿です。主に以下のような特徴があります:
- 女児の人形:おかっぱ頭に振袖姿が一般的
- 男児の人形:頭髪が筆で描かれ、羽織袴姿で正装している
- サイズ:20cmから80cmを超えるものまであるが、40cm前後が一般的
- 着せ替え可能:伝統的な市松人形は着せ替えを楽しむことができる
市松人形には以下のような文化的意義もあります:
- 四季折々の着物を着せ替えて楽しむことができる
- 厄除けのお守りとしての役割がある
- 家族の絆を深める存在(長女には雛人形、次女以降には市松人形を贈る風習がある地域も)
- 裁縫の練習台としても使用された
市松人形の製法と素材の変遷
市松人形の製法は、時代とともに進化してきました:
- 伝統的な製法:桐塑(とうそ)1または木でできた頭と手足に胡粉を塗り、おがくずを詰め込んだ布でできた胴につなげる
- 江戸時代:木彫胡粉仕上げや桐塑胡粉仕上げ
- 明治時代:張り子製
- 大正時代〜昭和初期:桐塑
- 現代:石膏頭、発泡スチロールやポリウレタンの胴体
しかし、伝統的な技法で作られる「桐塑頭」の市松人形は、今でも味わい深い魅力を放っています。
市松人形の文化的影響
市松人形は、単なる玩具以上の存在として日本文化に深く根付いています:
- 1927年に人形大使としてアメリカに贈られ、国際親善の役割を果たしました
- 雛人形の脇に飾られることも多く、日本の節句文化の一部となっています
- 「いちまさん」という愛称で親しまれ、特に京阪地方で人気があります
現代における市松人形
現代では、市松人形の用途や製法に変化が見られます:
- 観賞用途が主流となり、着せ替えができない固定式の人形も多く製作されています
- 専門の人形作家による伝統工芸品として、高品質な市松人形が制作・販売されています
- 「齊藤公司」のような市松人形製作の第一人者が、伝統技術を継承しています
錦糸町駅の市松人形看板
最後に、最近話題となった錦糸町駅の市松人形看板についても触れておきましょう。この看板が設置された理由は、錦糸町駅がある墨田区が昔から市松人形の産地として知られていたからです。かつては200軒ほどの市松人形職人が集まる一大産地でした。
しかし、この看板は予想外の反応を呼びました。白い背景に複数の市松人形が並ぶデザインが、特に夜間に見ると不気味な印象を与えるとして、SNS上で話題になったのです。多くの人が「怖い」「びっくりした」といった反応を示し、X(旧Twitter)上で大きな注目を集めました。
この看板は、伝統的な市松人形の魅力を現代的に解釈し、公共の場に大きく掲示したものです。意図せずして話題を呼んでしまいましたが、結果的に多くの人々に市松人形の存在を再認識させるきっかけとなりました。
まとめ
市松人形は、日本の伝統工芸の結晶であり、時代を超えて愛され続ける宝物です。その魅力は、細部にわたる職人の技術、四季折々の着物、そして日本の文化や美意識が凝縮されている点にあります。ぜひ一度、実際の市松人形を手に取って、その素晴らしさを体感してみてください。
- 桐塑:桐の木粉(おが屑)と生麸糊を練りあげた弾性のある粘土状の素材 ↩︎