山口県が誇る伝統工芸品「萩焼」(はぎやき)についてご紹介します。
萩焼と聞くと、茶道具のイメージが強いかもしれませんが、実は奥深い歴史と魅力に満ちた陶芸なんです。
萩焼の誕生 – 戦争がもたらした意外な贈り物
萩焼の歴史は、意外にも戦争から始まります。1592年、豊臣秀吉による朝鮮出兵、いわゆる文禄・慶長の役の際のことです。この戦争は「やきもの戦争」とも呼ばれ、多くの大名が朝鮮半島から陶工を連れ帰りました。
その中で、後に萩藩の初代藩主となる毛利輝元も、李勺光と李敬という兄弟の陶工を日本に招きました。彼らが1604年に萩城下の松本村(現在の萩市椿東)に御用窯を開いたのが、萩焼の始まりとされています。
つまり、萩焼は戦争という悲しい出来事から生まれた、平和の象徴とも言えるのです。敵国の技術者を尊重し、その技を活かして新たな文化を築いた。これぞ日本のものづくり精神の真髄と言えるでしょう。
萩焼の特徴 – 「七化け」する不思議な陶器
萩焼の最大の特徴は、「萩の七化け」と呼ばれる現象です。使い込むほどに器の色合いが変化し、味わい深くなっていきます。
これは、萩焼特有の土と釉薬の組み合わせによるもの。萩焼は比較的低温で焼成されるため、土の粒子が粗く、吸水性が高いのが特徴です。また、釉薬にはヒビが入りやすい性質があります。
このヒビを「貫入」と呼び、この貫入から茶や水が浸透し、長年使用するうちに色合いが変化していきます。まるで生き物のように変化する萩焼。使えば使うほど愛着が湧くのも納得ですね。
萩焼の高台 – 切り込みの謎
萩焼の特徴の一つに、高台(こうだい)と呼ばれる器の底の部分に切り込みが入っていることが挙げられます。この切り込みについては、興味深い説があります。
一説によると、萩焼は当初、藩の御用窯として使用されており、庶民には使用が許されていなかったそうです。そこで、高台部分にあえて切り込みを入れることで、「正規品ではない」「傷物」として扱い、庶民でも使用できるようにしたのだとか。
また、別の説では、この切り込みには実用的な目的があったとされています。例えば、器を重ねて運ぶ際に荷縄が引っかかりやすくするため、あるいは萩焼の高い吸水性による蒸気のこもりを防ぐためなど、様々な理由が挙げられています。
しかし、これらの説には異論もあります。萩焼が起こる以前の焼き物にも切り高台が見られることや、宮家の方用に誂えた萩焼にも切り高台が見られることなどから、単純に庶民用の「キズモノ」とする説には疑問が呈されています。
結局のところ、高台の切り込みの真の理由は明確ではありません。萩焼の元となった朝鮮李朝の焼き物にその手法が見られることから、それがそのまま伝わったとする説が最も自然かもしれません。
いずれにせよ、この高台の切り込みは萩焼の独特の風合いを生み出す一因となっており、茶碗鑑賞の重要なポイントの一つとなっています。
萩焼の土 – 地元の恵みが生む独特の風合い
萩焼の魅力は、その土にも秘密があります。主に使われる土は以下の3種類です。
- 大道土(だいどうつち): 防府市大道から山口市鋳銭司四辻一帯で採れる白色の粘土。萩焼の主要原料です。
- 見島土(みしまつち): 萩市沖の見島で採れる赤黒色の土。鉄分を多く含みます。
- 金峯土(みたけつち): 萩市東部の福栄村福井下金峯で採れる白色土。
これらの土を巧みに配合することで、萩焼独特の風合いが生まれるのです。まさに、山口の大地が育んだ芸術と言えるでしょう。
萩焼の技法 – 伝統と革新の融合
萩焼の技法は、400年以上の歴史の中で進化を続けてきました。伝統的な技法を守りつつ、新しい表現を模索する陶芸家たちの努力により、萩焼は常に新鮮な魅力を放ち続けています。
伝統的な技法
- 轆轤(ろくろ)成形: 最も基本的な成形方法。熟練の技が必要です。
- 叩き成形: 粘土を叩いて形を整える技法。大きな作品に適しています。
- 刷毛目: 刷毛で釉薬を塗る技法。独特の風合いを生み出します。
革新的な技法
- 刳貫(くりぬき): 兼田昌尚氏が考案した技法。土の塊を叩き締めて成形し、内側をくりぬいて作品を作ります。
- 鬼萩: 三輪壽雪氏が開発した技法。深みのある黒い土に白い釉薬を厚く塗ります。
- パール釉: 波多野英生氏が開発した技法。真珠光沢のある釉薬を使用します。
これらの新しい技法により、萩焼の表現の幅は大きく広がっています。伝統を守りつつ、常に新しいことにチャレンジする。これこそが、萩焼の真髄と言えるでしょう。
萩焼の名工たち – 伝統を受け継ぐ匠の技
萩焼の世界には、数多くの名工が存在します。その中でも特に注目すべき陶芸家をご紹介しましょう。
三輪休和(みわ きゅうわ)
萩焼の名門・三輪家の十代目。1970年に人間国宝に認定されました。「休雪白」と呼ばれる白萩の名品を生み出しました。
三輪壽雪(みわ じゅせつ)
三輪休和の弟で、十一代三輪休雪。1983年に人間国宝に認定されました。「鬼萩」という新しい萩焼のスタイルを確立しました。
兼田昌尚(かねだ まさなお)
刳貫技法を考案した革新的な陶芸家。伝統的な萩焼の枠を超えた大胆な作品で知られています。
波多野英生(はたの ひでお)
パール釉を開発するなど、新しい表現を追求する陶芸家。伝統的な技法と現代的なデザインを融合させた作品が特徴です。
これらの陶芸家たちは、単に伝統を守るだけでなく、常に新しい表現を模索し続けています。彼らの挑戦精神こそが、萩焼を進化させ続ける原動力なのです。
萩焼の未来 – 伝統工芸と現代アートの融合
萩焼は今、伝統工芸としての価値を保ちつつ、現代アートとしての新たな可能性を模索しています。
萩焼資料館
萩焼資料館は、萩市の中心部、萩城跡のすぐそばにある萩焼専門の博物館です。約400年前の貴重な古萩から現代の作品まで、数百点の萩焼を展示しています。
開館時間は朝9時から夕方5時まで。入館料は大人510円です。JR萩駅からバスで約40分かかります。
ここでは萩焼の歴史や技法を学べるだけでなく、実際に萩焼を購入することもできます。萩焼に興味がある方や、萩観光の際には、ぜひ立ち寄ってみてください。