革新と伝統を一つにした友禅の巨匠【木村雨山】

木村雨山 巨匠たちの軌跡
朝日新聞社, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

加賀友禅の革命児、木村雨山(きむらうざん)

幼少期から加賀友禆に魂を捉えられて

木村雨山は、1891年1月15日に石川県金沢市に生まれました。 父親は金沢の旧家で、幼少期から加賀友禆の美しさに魂を捉えられていました。 5歳の時に初めて加賀友禅の着物を見せられ、その色彩の豊かさと繊細な意匠に強く心を動かされたと言われています。

15歳で加賀友禆の名工・上村雲嶂に師事し、伝統的な加賀友禅の技法を学びました。 しかし同時に、南画家の大西金陽に日本画の技法も学び始めます。 伝統の加賀友禅に新しい表現を取り入れることを目指し、革新と伝統の融合を追求していったのです。

日本画の技法で加賀友禆に新風を吹き込む

1923年に独立した木村は、加賀友禅に日本画の表現方法を取り入れる独自の技法を確立していきました。

  • 染料の濃淡による陰影表現で立体感を出す
  • 筆致による自由な線描で動きを表現する
  • 重ね箔により金銀の輝きで奥行きを出す

などの革新的手法で、写実的で力強い作品を次々と生み出しました。 特に金銀箔の使い方は木村流の代名詞で、「重ね箔」と呼ばれる技法は木村雨山を象徴する作風となりました。 箔を何層にも重ねることで、光の当たり具合によって微妙に表情を変える立体的な表現が可能になったのです。

花鳥文友禅染テーブルセンター
花鳥文友禅染テーブルセンター © 文化庁 (CC BY 4.0)

加賀友禅染め師・木村雨山によるテーブルセンターである。中央に松と1対の鳥、4隅に花を配したデザインとなっている。
 鳥の右下に「雨山作」という落款と「雨山」の朱文方印がある。

引用元:文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/262922

加賀友禅の最高峰へと上り詰める

1928年の第9回帝展で初入選を果たすと、以降、帝展・日展で数々の受賞歴を重ねていきます。1934年の第15回帝展では代表作「縮緬地友禅訪問着 花鳥」が特選に輝き、木村の実力が広く認められるようになりました。

1955年には加賀友禅では唯一の人間国宝に認定され、1965年には紫綬褒章、1976年には勲三等瑞宝賞を受賞するなど、加賀友禅の最高峰に立つ存在となりました。生涯に渡って伝統の加賀友禅に新しい表現を取り入れる努力を重ね続け、優れた作品を数多く残しています。

革新と伝統の融合を追求し続けた巨匠

木村雨山は、1977年9月16日に86歳で逝くまで、加賀友禅の発展に尽力し続けた革命的な巨匠でした。 伝統の技法を尊重しながらも、常に新しい表現を模索し続けました。 日本画の技法を取り入れた独自の手法は、加賀友禆に新たな地平を切り開いたと高く評価されています。

晩年には後進の指導にも力を注ぎ、木村流の加賀友禆を次の世代に確実に継承していきました。 生涯を通じて革新と伝統の融合を追求し続けた木村雨山は、加賀友禆の歴史に燦然と輝く巨匠なのです。

木村雨山
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